突然ですがタイトル通り、しばらく二次創作を休んで一次創作(オリジナル)に打ち込むことにしました。
5年弱ほどFateの二次創作を書いてきました。
最初はZeroの短編から始まり、FGO全盛期の頃にホロウアタラクシアの方にどハマりして、とにかくランサーとバゼットが好きで好きで他の方の二次創作を見たり読んだりして、自分でも形にしてみたのが始まりでした。
私はどうも悲恋や離別・死別するカップリングに惹かれる傾向があるようです。
ランサーとバゼットの場合、明確な恋愛感情の描写は厳密にはありません。しいて言うならバゼットが異性に惚れっぽく、ランサーにも憧れに似た感情を抱いていたこと、アンリマユおよび周囲はそれを好意と同等に捉えていた程度の描写です。
二次小説を書くごとに、自分の中で2人の関係が育っていくのが楽しく、また幸運なことに色んな方に読んでいただけたのも嬉しかったです。珍しくパロディに挑戦したのもいい経験になりました。
一方で、ぶどうの絞りかすのような状態になってしまったのが現状です。
休むと決めた最たる理由は、以前別ジャンルの二次創作をやっていた際「このジャンルばっかり書いていたら視野が狭くなる」と危機感を抱いたのをFateにも感じたからです。
私は小学校中学年くらいから小説を書いています。長ければいいという話ではなく、途中で嫌になったりスランプに陥っても、結局戻ってくるほど飽きることのない行為なのです。
同時に長く続けてきたからこそ、近年痛感したことがあります。
目上の知人(オンライン関係でない)の小説を拝読する機会があり、おこがましい話ですが自分が書くならもっと文章を整えたいと感じながら読み進めていました。しかしその方ならではの独特の言い回しやエピソード、メッセージ性にどんどん引き込まれ、次第に文章のことなど気にならなくなるほど読み耽っていたのです。
読み終えた時に思ったのが、小説で大切なのは文章力や技巧以上に「ネタ」の面白さ、「書きたいものへの熱量」だということでした。これは一次・二次関係ありません。
私は長年文章力を磨くことに注力してばかりで、書きたいものを自分が好きなように書くだけでした。ネタの面白さは書き手の引き出し(インプット量)に比例します。自分の引き出しの少なさ、偏ったインプットを自覚し始めたのもあって、ミーハー上等で鬼滅の刃や呪術廻戦のような人気作にも触れるようになり、今まで読まなかったような作品も手を出してみようと前傾姿勢を取っています。
別ジャンルでなく一次創作なのは、書きかけの小説が何作かあるためです。
ある小説家の方は、大ファンだった小説家が亡くなったのがきっかけでデビュー作を書き上げたそうです。
私もつい数ヶ月前、ベルセルクの三浦健太郎先生が亡くなられたのがショックで、もう続きが読めない悲しみで途方に暮れていました。
それから大作でなくとも、多くの人に求められるものでなくても、書きたいネタや書きかけの作品に心残りがあるのなら最後まで書けるようやってみようと考え方が変わりました。
それに、終わらせないといつまでも古いものが残り、新しいものも出てきません。
アンリマユの台詞にも、以下のようなものがありました。
なにか、新しいもののために、
「終わりでも、見てみないと」
二次創作を完全に辞める訳ではありません。別ジャンルにケリをつけるためにもう書かないと言っておきながら書いていたくらいですから、また書きたくなるでしょう。
ですが今は、古いものを終わらせて新しいものを書くためにひと休みです。